紀三井寺
JR紀三井寺駅から住宅地を抜けると、楼門の先に二百三十段あまりの石段がまっすぐ伸びていた。一段ずつ登るほどに息は上がるが、振り返るたびに和歌浦の海が視界に広がっていく。寺名の由来になった三つの湧き水——清浄水・楊柳水・吉祥水——がいまも岩肌から落ちていて、口に含むとひやりと冷たい。境内の桜は和歌山に春の訪れを告げる標本木として気象台が観測する木で、開花宣言の基準になっている。登りきった本堂前からの眺めは、ここまでの石段の苦労をすっかり忘れさせてくれた。
朝の早い電車を降りると、潮の匂いが先にやってきた。名草山の斜面に張りついた甍の上で、まだ淡い陽が砂を含んだように白んでいる。鳥の声と、どこかで水を打つ音。和歌浦という土地は、海と山と古い社が肩を寄せ合うようにして、ひとつの入江を抱いている。きょうは紀三井寺の石段から歩きはじめて、万葉の歌人たちが立ち止まった潟の岸まで、海沿いをゆっくり下っていくことにした。
和歌山市・名草山の麓から、万葉に詠まれた潟の岸へ
マチノワ編集部
順位ではなく、編集部が選んだ5スポットを順にご紹介します。朝の早い電車を降りると、潮の匂いが先にやってきた。名草山の斜面に張りついた甍の上で、まだ淡い陽が砂を含んだように白んでいる。鳥の声と、どこかで水を打つ音。和歌浦という土地は、海と山と古い社が肩を寄せ合うようにして、ひとつの入江を抱いている。きょうは紀三井寺の石段から歩きはじめて、万葉の歌人たちが立ち止まった潟の岸まで、海沿いをゆっくり下っていくことにした。
JR紀三井寺駅から住宅地を抜けると、楼門の先に二百三十段あまりの石段がまっすぐ伸びていた。一段ずつ登るほどに息は上がるが、振り返るたびに和歌浦の海が視界に広がっていく。寺名の由来になった三つの湧き水——清浄水・楊柳水・吉祥水——がいまも岩肌から落ちていて、口に含むとひやりと冷たい。境内の桜は和歌山に春の訪れを告げる標本木として気象台が観測する木で、開花宣言の基準になっている。登りきった本堂前からの眺めは、ここまでの石段の苦労をすっかり忘れさせてくれた。
海沿いを西へ下り、奠供山(てんぐやま)の麓に着くと玉津島神社の鳥居が見えてきた。和歌の神さまを祀る社で、聖武天皇が行幸した折に山部赤人が「若の浦に潮満ち来れば潟を無み」と詠んだ、まさにその場所にあたる。境内の片隅には小野小町が着物の袖を掛けたと伝わる袖掛塀が残り、万葉歌碑が木陰にぽつりと立っている。観光地らしい賑わいはなく、参拝する人の足音だけが砂利に響いて、ここが千年以上前から歌に詠まれてきた岸辺なのだと静かに納得させられた。
玉津島から少し歩くと、山の斜面にしがみつくように建つ天満宮の急な石段が現れた。菅原道真を祀り、太宰府・北野と並んで三菅廟のひとつに数えられる古社だという。息を切らして登り、重要文化財の楼門をくぐったところで足が止まった。朱塗りの門の額縁の向こうに、和歌浦の入江がそっくり収まっている。本殿の壁は狩野・土佐両派の絵師が手がけた極彩色の彫刻で覆われていて、潮風に何百年もさらされたとは思えないほど色が残っていた。登ってきた者だけが受け取れる眺めと社殿だった。
石段を下りて不老橋を渡ると、視界がいっぺんに開けた。片男波は和歌浦湾に細長く伸びる砂洲で、千二百メートルほどの砂浜がゆるく弧を描いている。「片男波」という地名そのものが、赤人の歌「潟を無み」から生まれたものだと知ると、足元の砂までが急に由緒あるものに思えてくる。夏は海水浴で賑わうらしいが、訪れた日は人もまばらで、潟に渡り鳥が降りていた。隣の片男波公園には芝生広場や日本庭園が整えられていて、海と歌枕を眺めながらひと休みするのにちょうどよかった。
和歌浦の奥へ奥へと海沿いを進むと、道の先に雑賀崎の集落が現れた。崖のような急斜面に家々がびっしりと積み重なり、白い壁と窓が段々畑のように海へせり出している。その景観から地中海の漁村になぞらえて語られることもあるが、軒先に干された網や、坂道に置かれた発泡スチロールの箱が、ここが現役の漁村であることを思い出させてくれる。岬の先の番所庭園は、かつて紀州藩が異国船を見張った番所跡で、紀州青石の磯が海に突き出している。灯台のそばまで歩くと、朝に登った名草山が入江の対岸に小さく霞んで見えた。
潟を無み——千二百年前の歌人が見た干潟の名残りが、いまも入江の底でひと息ついている。マチノワ編集部
雑賀崎の灯台の下まで来て、ようやく振り返った。朝に登った名草山が、入江の向こうにずいぶん小さく見える。海に張り出した家並みが夕方の光をためて、白い壁がほんのり橙に染まりはじめていた。和歌浦というのは、結局のところ歩いてつなぐ場所なのだと思う。社から社へ、潟から岬へ、距離はどれもわずかなのに、そのあいだに山部赤人の歌があり、菅公の伝説があり、漁師たちの暮らしが挟まっている。脚は少し疲れたけれど、海のそばを一日歩いた身体は妙に軽い。各所の拝観時間や料金は折々に変わるので、出かける前に公式の案内をのぞいておくと安心して回れる。次に来るなら、潮の引いた朝にもう一度この岸を歩いてみたい。