藤ノ木古墳
法隆寺の西およそ350メートルに残る六世紀後半の円墳で、被葬者が特定されていないのに未盗掘の家形石棺と豪奢な馬具が出たことで知られる。ふだんは覆屋の窓越しに石室をのぞく形だが、その朱の残る石棺を間近に見られるのがこの古墳ならではで、伽藍建立より前の斑鳩の姿を肌で感じられる。春と秋には石室内部の特別公開がある。
大和盆地の北西、田と竹林のあいだに四つの古塔が点在する斑鳩は、聖徳太子の一族が宮を構えた土地だ。中心の法隆寺は七世紀の木組みを今に伝え、その周囲には尼寺や、稲穂の海に立つ三重塔が散らばっている。この記事は朝の早い時間に古墳の石室をのぞくところから始め、法隆寺の伽藍をひと巡りしたあと、太子ゆかりの寺を東へ、塔を北へとたどって午後の早いうちに切り上げる。塔から塔へ歩く道のりそのものが斑鳩の地形と歴史を読む手がかりになる、そんな半日の道順に組んだ。
飛鳥の塔をつなぐ、斑鳩の里の歩き方
マチノワ編集部
順位ではなく、編集部が選んだ5軒の名店を順にご紹介します。大和盆地の北西、田と竹林のあいだに四つの古塔が点在する斑鳩は、聖徳太子の一族が宮を構えた土地だ。中心の法隆寺は七世紀の木組みを今に伝え、その周囲には尼寺や、稲穂の海に立つ三重塔が散らばっている。この記事は朝の早い時間に古墳の石室をのぞくところから始め、法隆寺の伽藍をひと巡りしたあと、太子ゆかりの寺を東へ、塔を北へとたどって午後の早いうちに切り上げる。塔から塔へ歩く道のりそのものが斑鳩の地形と歴史を読む手がかりになる、そんな半日の道順に組んだ。
法隆寺の西およそ350メートルに残る六世紀後半の円墳で、被葬者が特定されていないのに未盗掘の家形石棺と豪奢な馬具が出たことで知られる。ふだんは覆屋の窓越しに石室をのぞく形だが、その朱の残る石棺を間近に見られるのがこの古墳ならではで、伽藍建立より前の斑鳩の姿を肌で感じられる。春と秋には石室内部の特別公開がある。
金堂と五重塔を中心とする西院伽藍は、現存する世界最古の木造建築群として知られ、わずかにふくらむ柱や雲斗・雲肘木の意匠に飛鳥の木工の手つきが残る。大宝蔵院では百済観音像など寺宝に会え、東へ歩けば八角円堂の夢殿が建つ。一つの寺で飛鳥から奈良へと続く時間の層を歩いて追えるのが、ここを長く取りたい理由だ。
聖徳太子が母のために建てたと伝わる尼寺で、本尊の菩薩半跏思惟像は飛鳥彫刻でも数少ない木像の傑作として親しまれている。クスノキの黒い艶と、わずかに頬へ寄せた指先がつくる柔らかな表情は写真では伝わりにくく、間近に座って初めて分かる。太子の妃が刺繍したと伝わる天寿国繍帳の残片も寺の宝として伝わる。
聖徳太子の病気平癒を願って子の山背大兄王が建てたと伝わる寺で、講堂には飛鳥時代の薬師如来坐像や虚空蔵菩薩像が並ぶ。象徴の三重塔は落雷で一度失われ、作家・幸田文らの尽力で昭和に古式どおり再建されたもの。古代と現代の手仕事が重なるこの塔の経緯を知って見上げると、木造塔が永遠ではなく受け継がれる営みだと分かる。
聖徳太子の岡本宮を寺に改めたと伝わり、八世紀初頭に完成した三重塔は現存する日本最古の三重塔として国宝に指定されている。周囲を田に囲まれ、塔だけが里の高みに立つ景観はここでしか得られず、秋にはコスモスが塔の足もとを埋める。法隆寺の整った境内とは対照的な、里に溶け込んだ古塔の姿が斑鳩の余韻になる。
塔の影が田に落ちるたび、斑鳩は寺の境内ではなく里そのものが古代だったと気づく。マチノワ編集部
9時に藤ノ木古墳で石室をのぞき、9時20分ごろ法隆寺南大門をくぐる。西院伽藍から大宝蔵院、東院の夢殿まで丁寧に見て、11時前後に隣の中宮寺へ。半跏思惟像と向き合ったら、正午を回るころには北の三井・岡本へ足を向ける。再建の塔が立つ法輪寺で飛鳥仏に会い、13時すぎに田の中の法起寺へ。最古の三重塔を見上げて、午後の早い時間に斑鳩を後にする流れだ。各寺の拝観時間と料金は折々に見直されるので、出かける前に各寺の公式案内で最新を一度押さえておくと安心できる。