大谿川の柳並木と太鼓橋
駅を出て数分歩くと、温泉街の中心を流れる大谿川と石造りの太鼓橋が現れる。この太鼓橋は大正14年の北但大震災からの復興で架けられたもので、王橋・愛宕橋・柳湯橋・桃島橋・辨天橋の五橋は国の登録有形文化財。湯から湯へ移る数百メートルが、そのまま文化財の橋と柳並木の散歩道になっているのが城崎ならではで、浴衣に下駄でそぞろ歩くこと自体がこの町の温泉体験だ。志賀直哉がこの川辺の風情を書き残したことでも知られる。
城崎の外湯めぐりは、いくつ湯に入ったかを競うものではない。宿で浴衣に着替え、下駄を鳴らして大谿川沿いに出る——その瞬間から、町ぜんぶがひとつの大きな湯屋になる。湯と湯のあいだの数百メートル、柳が揺れ、太鼓橋に灯が映り、向こうから来る人もみな浴衣姿。脱いで、浸かって、また歩く。この「歩く」が挟まることで、ほてった肌が夜風で冷め、次の湯がまた新鮮に効く。日帰り入浴券(七湯を一日自由に巡れるパス)を手に、源泉の伝説が残る一番奥の湯まで、灯りをたどって歩いてみたい。湯あがりの一杯や食べ歩きは、その途中のごほうびだ。
浴衣に下駄、手ぬぐい一本。湯から湯へ、川沿いを歩くこと自体がこの町の温泉だ
マチノワ編集部
順位ではなく、編集部が選んだ5スポットを順にご紹介します。城崎の外湯めぐりは、いくつ湯に入ったかを競うものではない。宿で浴衣に着替え、下駄を鳴らして大谿川沿いに出る——その瞬間から、町ぜんぶがひとつの大きな湯屋になる。湯と湯のあいだの数百メートル、柳が揺れ、太鼓橋に灯が映り、向こうから来る人もみな浴衣姿。脱いで、浸かって、また歩く。この「歩く」が挟まることで、ほてった肌が夜風で冷め、次の湯がまた新鮮に効く。日帰り入浴券(七湯を一日自由に巡れるパス)を手に、源泉の伝説が残る一番奥の湯まで、灯りをたどって歩いてみたい。湯あがりの一杯や食べ歩きは、その途中のごほうびだ。
駅を出て数分歩くと、温泉街の中心を流れる大谿川と石造りの太鼓橋が現れる。この太鼓橋は大正14年の北但大震災からの復興で架けられたもので、王橋・愛宕橋・柳湯橋・桃島橋・辨天橋の五橋は国の登録有形文化財。湯から湯へ移る数百メートルが、そのまま文化財の橋と柳並木の散歩道になっているのが城崎ならではで、浴衣に下駄でそぞろ歩くこと自体がこの町の温泉体験だ。志賀直哉がこの川辺の風情を書き残したことでも知られる。
桃山様式の歌舞伎座をモデルにしたという堂々たる構えが、柳通りの中ほどで目を引く。江戸期に「天下一の湯」と名医に評されたのが名の由来とされ、岩盤をくり抜いた半露天の洞窟風呂が外湯のなかでも個性的。駅と一番奥の湯のちょうど中間に立つので、めぐりの最初の一湯にすると順路が組み立てやすい。朝7時から夜23時近くまで長く開いているのも、湯めぐりの起点として使いやすい理由だ。
京都御所を思わせる檜造りの正面が四所神社の境内脇に建ち、城崎の外湯で唯一、浴室全体が露天という贅沢な造り。2020年の大規模改修でよみがえり、裏山の滝と四季の木立を眺めながら湯に浸かれる。南北朝期の歴史書に後堀河天皇の姉宮が入浴したと記され「御所」の名が付いたと伝わる、由緒のある一湯だ。開くのは午後3時からと遅め、定休は水曜なので、夕暮れ以降の湯として動線に組み込みたい。
駅から最も遠い、柳並木をたどりきった奥に静かに構える。約1400年前、足を痛めたコウノトリ(鴻)が湯に浸かって癒やし飛び立った跡から湯が湧いた——という城崎開湯の伝説そのものの場所で、いわば七湯の源にあたる一湯。手入れの行き届いた庭園露天が名物で、緑に囲まれて湯に身を沈めると、めぐりの締めくくりにふさわしい静けさがある。ここまで歩いてきた距離が、そのまま湯のありがたさになる。
外湯が並ぶ谷あいの町を、標高231mの大師山から一望できる。山麓駅は一番奥の鴻の湯のすぐそばにあり、全長676mを約7分でのぼると、瓦屋根が連なる温泉街の向こうに日本海まで見渡せる。中間駅で降りれば温泉寺へ立ち寄れ、山頂のみはらしテラスでは町並みを見下ろしながら一服できる。夜の湯めぐりとは逆に、昼間の明るいうちに「自分が今夜歩く町」を俯瞰しておくと、夜の散歩の見え方が変わる。
何軒入ったかではなく、何度この川辺を歩いたか。城崎の夜はそういう数え方をする。マチノワ編集部
外湯はそれぞれ休館日が違い、夜遅くまで開く湯もあれば夕方からの湯もある。営業時間や入浴料、定休日は見直されることがあるので、巡る順番を決める前に城崎温泉観光協会の公式情報で当日の状況を一度たしかめておくと、湯めぐりがなめらかになる。柳が散る頃も、雪が舞う頃も、浴衣でこの川辺を歩く時間そのものが城崎という温泉地の正体だ。