千光寺山ロープウェイ
坂の街をいきなり足で登るのもいいが、はじめに全体を眺めておきたくて、長江口の山麓駅からロープウェイに乗った。三分ほどの空中散歩で、眼下には瓦屋根がさざ波のように連なり、その向こうに尾道水道が銀色に光る。艮神社の鬱蒼とした楠の森を真上から見下ろせるのも、この乗り物ならではの眺めだ。山頂から先は自分の足で下りていくと決めていたので、上りだけ片道で乗った。
駅を出ると、まず潮の匂いがした。線路の向こうにすぐ海があって、対岸の向島まではほんの数百メートル。船の汽笛が低く響き、それに混じって、どこかで猫が鳴いている。尾道は、平らな道がほとんどない街だ。海に背を向けて顔を上げると、山の斜面にびっしりと家が貼りつき、その隙間を縫うように細い石段が上へ上へと伸びている。荷物を宿に置いて、身軽になってから歩きはじめた。地図はあえて畳んでおく。この街は、迷うことそのものが楽しい。
石段と猫と、潮の匂いのする午後に
マチノワ編集部
順位ではなく、編集部が選んだ4スポットを順にご紹介します。駅を出ると、まず潮の匂いがした。線路の向こうにすぐ海があって、対岸の向島まではほんの数百メートル。船の汽笛が低く響き、それに混じって、どこかで猫が鳴いている。尾道は、平らな道がほとんどない街だ。海に背を向けて顔を上げると、山の斜面にびっしりと家が貼りつき、その隙間を縫うように細い石段が上へ上へと伸びている。荷物を宿に置いて、身軽になってから歩きはじめた。地図はあえて畳んでおく。この街は、迷うことそのものが楽しい。
坂の街をいきなり足で登るのもいいが、はじめに全体を眺めておきたくて、長江口の山麓駅からロープウェイに乗った。三分ほどの空中散歩で、眼下には瓦屋根がさざ波のように連なり、その向こうに尾道水道が銀色に光る。艮神社の鬱蒼とした楠の森を真上から見下ろせるのも、この乗り物ならではの眺めだ。山頂から先は自分の足で下りていくと決めていたので、上りだけ片道で乗った。
展望台から文学のこみちを下っていくと、岩肌に寄り添うように建つ朱塗りの本堂が現れた。地元では「赤堂」と呼ばれるこの堂は、断崖にせり出すように組まれていて、欄干に立てば尾道水道がそのまま額縁におさまる。境内には玉の岩という巨石がそびえ、夜には頂に擬宝珠の灯がともる。岩と岩の隙間を縫うように歩く参道そのものが、この寺ならではの体験だ。鐘の音が街じゅうに響くのを、坂のどこかで一度は聞くことになる。
千光寺からの下り道で、ふと脇にそれると人ひとりがやっと通れる細い路地に出た。艮神社の脇から天寧寺の三重塔へと続く二百メートルほどのこの道には、丸い石に表情を描いた福石猫が、塀の上や植木鉢の縁にそっと置かれている。本物の猫も日向で丸くなっていて、どちらが先に動くか、しばらくにらめっこになった。古民家を改装したカフェや雑貨店が点在し、立ち止まるたびに次の角が気になってしまう道だ。
猫の細道を抜けて街なかに下り、東へ少し足を延ばすと浄土寺の山門が見えてきた。本堂と多宝塔はどちらも国宝で、嘉暦三年(一三二八年)建立と伝わる多宝塔の古い木組みが、夕方の斜光の中で深い陰影をつくっていた。境内には数えきれないほどの鳩がいて、白い羽の鳩を見つけると縁起がいいと言われる。足利尊氏ゆかりの寺でもあり、坂の上の景色とはまた違う、地に足のついた静けさがここにはある。一日歩いた足を、最後にこの境内で休めた。
坂の途中でふり返るたび、海はさっきより少しだけ広くなっている。マチノワ編集部
日が傾くころ、もう一度ロープウェイの山麓駅まで下りてきた。来たときには気づかなかった路地の喫茶店から、コーヒーの匂いが流れてくる。石段を上り、寺の境内をめぐり、猫の細道を抜けて歩いただけなのに、靴の裏には街のかたちがそのまま残っている気がした。尾道は、車窓から眺める街ではない。石段を一段ずつ踏んで、息を切らして、ふり返って海を見て、はじめて手の中におさまる街だ。帰りの電車を一本遅らせて、もう少しだけ潮の匂いの中にいることにした。なお拝観時間や運賃は折々で変わるので、出かける前に各寺社やロープウェイの公式情報をのぞいておくと安心だ。