岡崎城
徳川家康が松平竹千代として生まれた城そのもの。現在の天守は1959年に三層五階で復興されたもので、最上階からは城の足元を乙川と伊賀川が囲む地形が一望でき、なぜここに城が築かれたかが体感としてわかる。日本100名城にも数えられ、家康の人生がここから始まったという一点で、町歩きの起点にこれ以上ふさわしい場所はない。
乙川と伊賀川が合流する低地に開けた岡崎は、徳川家康が産声をあげた城下町でありながら、いまも町なかの川風と味噌蔵の匂いが日常の中に溶けている。この半日は、家康が生まれた本丸から歩きはじめ、城の真上に鎮座する社、家光が三キロ先まで引いた一直線の眺望、そして江戸初期から桶を守り続ける味噌蔵へと、「家康ゆかり」をひとつの線でつないで歩く設計にした。城だけ見て帰るのはもったいない、という土地である。
天守からビスタライン、そして味噌蔵へ
マチノワ編集部
順位ではなく、編集部が選んだ5軒の名店を順にご紹介します。乙川と伊賀川が合流する低地に開けた岡崎は、徳川家康が産声をあげた城下町でありながら、いまも町なかの川風と味噌蔵の匂いが日常の中に溶けている。この半日は、家康が生まれた本丸から歩きはじめ、城の真上に鎮座する社、家光が三キロ先まで引いた一直線の眺望、そして江戸初期から桶を守り続ける味噌蔵へと、「家康ゆかり」をひとつの線でつないで歩く設計にした。城だけ見て帰るのはもったいない、という土地である。
徳川家康が松平竹千代として生まれた城そのもの。現在の天守は1959年に三層五階で復興されたもので、最上階からは城の足元を乙川と伊賀川が囲む地形が一望でき、なぜここに城が築かれたかが体感としてわかる。日本100名城にも数えられ、家康の人生がここから始まったという一点で、町歩きの起点にこれ以上ふさわしい場所はない。
天守の真横、本丸にそのまま鎮座する社で、家康と猛将・本多忠勝を御祭神としてまつる。築城のときに龍が現れ城の井戸から水を噴き上げて昇天したという昇龍伝説が社名の由来で、城の守り神がそのまま境内になっている構図は、城めぐりの途中でふと足を止めるのにちょうどいい。御朱印も授与されている。
誕生から天下統一までの家康の生涯と、それを支えた三河武士たちを通史で見せる岡崎公園内の展示施設。刀や槍、兜を実際に持ち上げてその重さを確かめられる体験コーナーがあり、天守で外から城を眺めたあとに「中の人々」を知ると、午前の城めぐりが一気に立体的になる。城とセットの2館共通券を使えるのもここまでの流れに沿う。
松平氏・徳川家の菩提寺で、桶狭間の戦いの後に今川の人質だった若き家康が逃げ込み、住職から「厭離穢土 欣求浄土」の言葉を授かった場所として知られる。最大の見どころは、三代将軍家光が祖父生誕の地を望めるようにと伽藍を配置した「ビスタライン」。本堂から三門・総門を通して約3km先の岡崎城が一直線に見通せる眺望が、約370年にわたり守られている。
岡崎城から西へ八丁(約870m)の旧八丁村で、江戸初期から伝統製法の八丁味噌を造り続ける蔵元。大豆と塩を大きな木桶に仕込み、職人が重石を円錐状に積み上げて二夏二冬じっくり寝かせる仕込み蔵を、見学で間近に見られる。城名の由来と同じ「八丁」という地名が味噌そのものの名になっている点が、この町ならではの締めくくりにふさわしい。味噌料理の食事処も併設する。
川と味噌蔵の匂いのなかに、家康の原点がそのまま残っている町。マチノワ編集部
9:30に岡崎公園へ入り、まず復興天守へ上がって乙川を見下ろす。10:30すぎに本丸の龍城神社へ手を合わせ、家康館で甲冑の重みに触れたら正午前後。ここで一度東岡崎駅方面へ戻り、バスで北上して11:50ごろ大樹寺へ。総門越しに城を望むビスタラインを確かめてから、13:30前後に中岡崎駅そばのカクキューへ移動し、味噌蔵見学と味噌だれの一皿で締める。城・社・眺望・蔵を一筆書きでつなぐ、半日の家康行脚である。料金や見学回の時間はちょこちょこ変わるので、出かける前に各施設の公式案内で最新を押さえておくと迷わない。