有松の古い町並み
駅の階段を降りてすぐ、東西に細長く一本の筋が伸びている。これが慶長十三年(一六〇八)に尾張藩が東海道沿いに開かせた有松の本通りで、宿場の合間の「間の宿」として絞り染めだけで栄えた集落だ。虫籠窓の二階、黒漆喰の塗籠壁、両妻にあがる卯建——防火のための工夫がそのまま意匠になって、商家ごとに少しずつ表情が違う。二〇一六年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、二〇一九年には日本遺産にも認定された。歩く距離は短いのに、軒先の反物と格子の影だけで一筋まるごと絵になる。
名鉄の高架を降りて南へ折れると、車の音が急にやわらぐ。瓦屋根の連なりの下、軒先に藍と白の反物がゆれて、格子越しに細い光がこぼれている。ここは東海道の池鯉鮒と鳴海のあいだに人の手で生まれた町。宿場ではなく「間の宿」として、絞り染め一本で暮らしを立ててきた集落だ。石畳ではない、ただの舗装路を歩いているのに、塗籠の壁と卯建が両側からせり出してきて、足取りが自然とゆっくりになる。一日かけずとも、半日もあれば端から端まで往復できる小ささが、かえって細部に目を留めさせてくれる。
藍と白の影が落ちる旧街道を、駅前から半時間ほど
マチノワ編集部
順位ではなく、編集部が選んだ5スポットを順にご紹介します。名鉄の高架を降りて南へ折れると、車の音が急にやわらぐ。瓦屋根の連なりの下、軒先に藍と白の反物がゆれて、格子越しに細い光がこぼれている。ここは東海道の池鯉鮒と鳴海のあいだに人の手で生まれた町。宿場ではなく「間の宿」として、絞り染め一本で暮らしを立ててきた集落だ。石畳ではない、ただの舗装路を歩いているのに、塗籠の壁と卯建が両側からせり出してきて、足取りが自然とゆっくりになる。一日かけずとも、半日もあれば端から端まで往復できる小ささが、かえって細部に目を留めさせてくれる。
駅の階段を降りてすぐ、東西に細長く一本の筋が伸びている。これが慶長十三年(一六〇八)に尾張藩が東海道沿いに開かせた有松の本通りで、宿場の合間の「間の宿」として絞り染めだけで栄えた集落だ。虫籠窓の二階、黒漆喰の塗籠壁、両妻にあがる卯建——防火のための工夫がそのまま意匠になって、商家ごとに少しずつ表情が違う。二〇一六年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、二〇一九年には日本遺産にも認定された。歩く距離は短いのに、軒先の反物と格子の影だけで一筋まるごと絵になる。
町並みの中ほど、白壁の大きな建物に足を止める。一階で反物を眺め、二階へ上がると工芸士が布をつまみ、糸でくくり、染める一連の手わざを目の前で見せてくれる。括る、縫う、巻く——技法は数十種を数え、同じ藍でも絞り方ひとつで模様がまるで変わるのがその場でわかる。歩いて見てきた家並みが「なぜこの土地に生まれたのか」を、ここで指先の動きとして腑に落とせるのがありがたい。実演や開館は休館日・時間帯によって行われないこともあるので、立ち寄る時間や入館料は会館の公式案内で確かめてから向かいたい。
会館から東へ少し戻った角に、ひときわ間口の広い構えがある。寛政二年(一七九〇)に向かいの大井桁屋から分かれた服部孫兵衛家、屋号を井桁屋という絞問屋だ。一階は連子格子、腰には簓子下見板を張り、二階には虫籠窓が連なって妻側に卯建があがる——町並みを代表する造りが、いまも反物を商う現役の店としてそこにある。母屋や蔵などが愛知県の指定文化財となっており、観光用に保存された建物ではなく、暖簾をくぐれば絞りの手ぬぐいや反物が並ぶ。歩きながら格子の奥をのぞくと、商いと暮らしが同じ屋根の下で二百年以上続いてきた厚みが伝わってくる。建物の公開状況は店舗都合で変わるため、内部見学を考えるなら事前に確かめておきたい。
本通りの西の外れから石段を上ると、社叢のなかに天満社が静かに鎮座している。文政七年(一八二四)にいまの社殿を構えて以来、有松の産土神として祀られてきた菅原道真を主祭神とする神社だ。普段は鳥居をくぐる人もまばらだが、十月の秋季大祭では参道の向こうの町並みへ三輌の山車が繰り出す。西町・中町・東町それぞれの山車は名古屋市の指定有形民俗文化財で、絞りで潤った商家の財が祭りの彫刻やからくりに注がれてきた歴史がそこに見える。境内から振り返ると、瓦屋根の連なりを少し高い位置から見下ろせるのもこの社ならではだ。
町並みを抜けてさらに南へ、急ぐなら駅前からバスに乗る。永禄三年(一五六〇)、織田信長が今川義元の大軍を破った桶狭間の戦い、その激戦地とされるのがこの一帯だ。園内には信長と義元の二つの像が向き合い、義元の墓碑や、首を洗ったと伝わる泉、馬をつないだという杜松が点在する。合戦の地が名古屋市緑区と豊明市の二か所で長く論じられてきたなかで、ここは「信長公記」を手がかりに緑区側を激戦地とする説に立つ。藍と糸の静けさを歩いてきた身には、同じ緑区のうちにこれほど血なまぐさい記憶の地が控えていることが、土地の奥行きとして効いてくる。
反物のゆれる軒先と黒漆喰の壁のあいだを、ただ往復するだけで時間がほどけていく。マチノワ編集部
桶狭間から町へ引き返すと、夕方の光が塗籠の白壁を橙に染めていた。一本の道に沿って絞りの商家が肩を寄せ合い、その道がそのまま東海道だったという事実が、歩いてみてようやく腑に落ちる。名古屋の市域にこれほど静かな筋が残っていることが不思議でもあり、納得でもあった。会館の入館や各家の公開状況、古戦場公園の催しは折々で変わるので、出かける前に各施設の公式案内でたしかめておくと安心して歩ける。藍の匂いを背に駅へ戻る道すがら、もう一度だけ軒先の反物を振り返った。