富士山本宮浅間大社
駅から大鳥居をくぐると、朱塗りの楼門の向こうに富士が見える、という贅沢な参道がまっすぐ続いている。ここは全国に千三百ほどある浅間神社の総本宮で、祀られているのはほかでもない、目の前にそびえる富士山そのもの。社殿の背後で湧き出す水を訪ねるための入口として、まずこの境内に立ってみたい。参拝は無料で、開門の時刻は季節によってかなり前後する。
富士宮の朝は、水の音から始まる。駅前の通りを抜けて大社へ向かうと、車の気配が遠のき、かわりに澄んだ流れの音がどこからともなく耳に届く。見上げれば、晴れた日には正面に富士が立っている。この街の水は、その白い山に降った雪と雨が、何十年もかけて溶岩の層をくぐり、いまここで湧き出したもの——そう知ってから歩くと、足元を流れる一本の用水路さえ、急によそよそしくなくなる。きょうは、その水の出どころをたどって西麓をのんびり巡ってみたい。
水音をたどって、富士の西麓をひと巡り
マチノワ編集部
順位ではなく、編集部が選んだ5スポットを順にご紹介します。富士宮の朝は、水の音から始まる。駅前の通りを抜けて大社へ向かうと、車の気配が遠のき、かわりに澄んだ流れの音がどこからともなく耳に届く。見上げれば、晴れた日には正面に富士が立っている。この街の水は、その白い山に降った雪と雨が、何十年もかけて溶岩の層をくぐり、いまここで湧き出したもの——そう知ってから歩くと、足元を流れる一本の用水路さえ、急によそよそしくなくなる。きょうは、その水の出どころをたどって西麓をのんびり巡ってみたい。
駅から大鳥居をくぐると、朱塗りの楼門の向こうに富士が見える、という贅沢な参道がまっすぐ続いている。ここは全国に千三百ほどある浅間神社の総本宮で、祀られているのはほかでもない、目の前にそびえる富士山そのもの。社殿の背後で湧き出す水を訪ねるための入口として、まずこの境内に立ってみたい。参拝は無料で、開門の時刻は季節によってかなり前後する。
本殿の脇から東へ回ると、急に空気がひんやりする。これが湧玉池。富士に染み込んだ水がここで日に三十万トンほども湧き、水温は真夏でも真冬でも十三度前後とほとんど変わらない。水底の砂のあちこちから細かな気泡がゆらゆら立ちのぼるのが、湧き出している証拠だ。かつて富士へ登る行者はこの水で身を清めてから山に向かったといい、いまも国の特別天然記念物として守られている。手元の柄杓で触れる水の冷たさが、いちばん雄弁にこの土地の地下を語ってくれる。
街を離れてバスで北へ向かうと、田畑の向こうに富士が大きくなってくる。遊歩道を下りた先で待っているのが白糸の滝。一本の太い流れではなく、幅百五十メートルほどの湾曲した崖の全面から、無数の細い水が絹糸のように垂れ落ちている。これも富士の伏流水で、水を通す新しい溶岩の層と通さない古い層の境目から、地中の水がそのまま染み出して滝になっているのだという。滝そのものの拝観は無料、近くの市営駐車場だけ有料なので、料金や開いている時間は最新の案内を見ておきたい。
さらに奥、朝霧高原の一角まで足を延ばすと田貫湖が開ける。周囲三・三キロほどの湖の真東に富士が据わり、風のない朝には水面が鏡になって、上下に二つの富士が向き合う逆さ富士が現れる。四月と八月の二十日ごろには、山頂から朝日が昇ってダイヤモンド富士になる数日があり、その時季は早朝から人が湖畔に集まる。湧玉池や滝で出会った水が、ここでは静かな湖の鏡となって富士を映し返している——同じ水の、まったく違う表情だ。
湖から街へ戻り、最後に大社のすぐ近くまで来たら、逆さ富士のかたちをした建物に立ち寄りたい。県産ヒノキの木格子を組んだ逆円錐の展示棟が、前面に張られた水盤に映ると、上下が反転して正立した富士に見える、という坂茂の設計だ。館内は壁面の映像を見ながら螺旋のスロープを登る疑似富士登山になっていて、一般三百円で入れる。開館は九時から夕方まで、夏は延びる。一日たどってきた『富士に降って、地に湧いて、また映る』水の循環を、建物の側からもう一度なぞれる場所として、締めくくりにちょうどいい。
湧玉池の水は一年じゅう十三度前後。覗き込むと、底の砂から銀の粒が静かに立ちのぼっていた。マチノワ編集部
夕方、駅へ戻る道で、また水路のせせらぎとすれ違った。朝に聞いたのと同じ音のようでいて、もう少しやわらかく聞こえる。富士に降ったものが地下で長い時間をかけてここまで来て、池になり、滝になり、湖の鏡になっていた——一日かけて、その同じ水にかたちを変えて何度も出会った気がする。山に登らなくても、富士はずっとそばにいた。なお、各所の参拝時間や料金、行事の予定はときどき改まるので、出かける前に公式の案内でいちど確かめておくと安心して歩ける。