和歌山城 天守
現在の天守は戦災で焼けたあと1958年に再建された連立式で、大小の天守と櫓が渡櫓でぐるりと繋がる構えを内側から歩いて回れる。見どころは建物そのものより足元の石垣で、緑がかった結晶片岩の野面積み、加工された砂岩、後年の切り込み接ぎが場所ごとに混在し、築城から幕末までの増改築がそのまま地層のように積み重なっている。最上階からは和歌山市街と紀ノ川の河口まで見渡せる。
和歌山市の中心に立つ和歌山城は、紀州徳川家五十五万石の居城だった山城で、虎伏山という小さな丘の上に石垣と白い天守が積み上がっている。城を歩いて気づくのは、石の色も積み方もまちまちで、時代ごとに継ぎ足された城の履歴がそのまま壁面に残っていること。半日あれば、この丘を一周してから城を離れ、城を築いた殿様が眠る土地まで足を伸ばせる。午前に駅から城へ入り、天守と藩主だけが渡った橋を見て、隣の丘で城の「材料置き場」だった岩場に登り、午後はバスで和歌浦へ抜けて締めくくる——そんな一本の線として組んでみた。
紀州五十五万石の本丸から、徳川頼宣が父を祀った和歌浦の社まで
マチノワ編集部
順位ではなく、編集部が選んだ4軒の名店を順にご紹介します。和歌山市の中心に立つ和歌山城は、紀州徳川家五十五万石の居城だった山城で、虎伏山という小さな丘の上に石垣と白い天守が積み上がっている。城を歩いて気づくのは、石の色も積み方もまちまちで、時代ごとに継ぎ足された城の履歴がそのまま壁面に残っていること。半日あれば、この丘を一周してから城を離れ、城を築いた殿様が眠る土地まで足を伸ばせる。午前に駅から城へ入り、天守と藩主だけが渡った橋を見て、隣の丘で城の「材料置き場」だった岩場に登り、午後はバスで和歌浦へ抜けて締めくくる——そんな一本の線として組んでみた。
現在の天守は戦災で焼けたあと1958年に再建された連立式で、大小の天守と櫓が渡櫓でぐるりと繋がる構えを内側から歩いて回れる。見どころは建物そのものより足元の石垣で、緑がかった結晶片岩の野面積み、加工された砂岩、後年の切り込み接ぎが場所ごとに混在し、築城から幕末までの増改築がそのまま地層のように積み重なっている。最上階からは和歌山市街と紀ノ川の河口まで見渡せる。
二之丸と西之丸の庭園を藩主とお付きの者だけが行き来するために架けられた橋で、2006年に復元された。屋根と壁で外から中が見えないようにつくられ、高低差に合わせて斜めに架かるという全国でも例の少ない構造で、傾いた板敷きの上を裸足で上り下りする感覚が独特だ。渡った先の紅葉渓庭園は紀州初代藩主が築いた大名庭園で、池に石組と楓を配し、橋ともども無料で開放されている。
和歌山城のすぐ南東にある丘の公園で、ここはかつて城の天守台や石垣に使う石材を切り出した石切丁場だった——つまり城の「素材」が掘り出された現場そのものだ。自然のままの大きな岩肌が園内に残り、その岩を活かした複合遊具やボルダリングで頂上まで登れる。条約改正を成し遂げた和歌山ゆかりの外交官・陸奥宗光の銅像や、市内を走っていた蒸気機関車・路面電車も屋外展示され、城見物の合間に腰を下ろすのにちょうどいい。
城を築いた紀州初代藩主・徳川頼宣が、父・家康を祀るため1621年に創建した権現造の社。本殿・拝殿・楼門など七棟が国の重要文化財で、社殿には左甚五郎の作と伝わる彫刻や狩野探幽筆の障壁画が施され、朱と極彩色で飾られた紀州の「日光」とも呼べる造りになっている。参道の侍坂は煩悩の数にちなむ108段の急な石段で、上りきると楼門の向こうに和歌の浦の入り江が広がる。
石垣の色が変わる場所で、城の年表をめくっているマチノワ編集部
9時すぎ、南海和歌山市駅のキーノ和歌山を出て北へ。徒歩十数分で和歌山城の堀端に着き、まず大手門から本丸へ上がって天守をひと巡り(〜10時半)。下りてきたら西の丸へ回り、無料開放の御橋廊下を斜めに渡って紅葉渓庭園で池を眺める(〜11時半)。城の南東へ抜けて岡公園の岩場と機関車を見て昼の休憩(〜13時)。市駅か城前からバスに乗って和歌浦へ向かい、午後は紀州東照宮の侍坂を上って楼門と社殿、坂上から望む和歌の浦の入り江で半日を終える(〜15時)。城から海まで、紀州徳川家の物語をひとつなぎで辿る道のりになる。