待月橋
香嵐渓のほぼ中心、巴川をまたいで架かる朱塗りの橋。橋の上は視界がひらけ、左右の斜面の色づきを同じ高さで見渡せる。河原まで下りると、紅葉を背にした赤い橋の弧がそのまま川面に映り、上から見るのとはまるで違う絵になる。この一枚を撮るために河原へ降りる人が多いのも、ここならではの楽しみ方だ。
愛知・豊田の山あい、足助川と巴川がぶつかるあたりで、川が長い時間をかけて削った谷が香嵐渓だ。その色づきは自然まかせではなく、人の手から始まっている。古くから地元の人々が飯盛山の斜面へカエデを植え足してきたと伝わり、その積み重ねが今のもみじの山をかたちづくった。だから香嵐渓のもみじは、ただ眺める景色というより、誰かが残した手仕事の続きを歩く感覚に近い。この特集は、渓谷ぞいを散歩する一日として組んだ。川面に映る朱の橋を見上げ、川べりの苔と杉の匂いをかぎ、低い山の頂まで登って谷を見下ろす。足元の落ち葉を踏む音まで含めて、紅葉の渓谷さんぽを味わってほしい。色づきの盛りはおおむね十一月の半ばから下旬、夜の灯りがともる期間もある。日程や料金は動くので、出かける前に各施設の知らせをのぞいておくと安心だ。
巴川がきざんだ谷を、朱の橋から飯盛山の頂へ。色づく木立を歩いて登る秋
マチノワ編集部
順位ではなく、編集部が選んだ4スポットを順にご紹介します。愛知・豊田の山あい、足助川と巴川がぶつかるあたりで、川が長い時間をかけて削った谷が香嵐渓だ。その色づきは自然まかせではなく、人の手から始まっている。古くから地元の人々が飯盛山の斜面へカエデを植え足してきたと伝わり、その積み重ねが今のもみじの山をかたちづくった。だから香嵐渓のもみじは、ただ眺める景色というより、誰かが残した手仕事の続きを歩く感覚に近い。この特集は、渓谷ぞいを散歩する一日として組んだ。川面に映る朱の橋を見上げ、川べりの苔と杉の匂いをかぎ、低い山の頂まで登って谷を見下ろす。足元の落ち葉を踏む音まで含めて、紅葉の渓谷さんぽを味わってほしい。色づきの盛りはおおむね十一月の半ばから下旬、夜の灯りがともる期間もある。日程や料金は動くので、出かける前に各施設の知らせをのぞいておくと安心だ。
香嵐渓のほぼ中心、巴川をまたいで架かる朱塗りの橋。橋の上は視界がひらけ、左右の斜面の色づきを同じ高さで見渡せる。河原まで下りると、紅葉を背にした赤い橋の弧がそのまま川面に映り、上から見るのとはまるで違う絵になる。この一枚を撮るために河原へ降りる人が多いのも、ここならではの楽しみ方だ。
巴川が浸食してできた渓谷で、巴橋から香嵐橋までの約1kmが散策路になっている。1930年に大阪毎日新聞社主の山本彦一が「香嵐渓」と名づけたと伝わり、それまでは名のなかった谷だ。川面すれすれを歩ける区間があるのが特徴で、見上げる紅葉と、足元の流れに散った葉を同時に楽しめる。盛りには木立全体が頭上を覆い、トンネルを抜けるように歩ける。
香嵐渓の中心にそびえる標高251mの円錐形の山で、街道からの比高は130mほど。整った形から古くは神が天下る聖なる山とされ、山頂近くには磐座も伝わる。今このもみじの多くは、大正末から昭和の初めに地元の人々が植えたもので、その数は4000本ともいわれる。香積寺脇の登山口から20〜30分登れば、谷の色づきを足の下に見下ろす視点が手に入る。
明治から昭和30年頃までの山あいの農家の暮らしを再現した「生きた民俗資料館」。わら草履、機織り、桶屋、紙すき、鍛冶屋、炭焼きなど十種ほどの手仕事を、実際の職人が日々実演しているのが他にない点で、見るだけでなく一部は体験もできる。色づいた谷を歩いたあと、その同じ山里で人がどう暮らしてきたかをのぞくと、香嵐渓の風景に厚みが出る。
川が削った谷を、人が植え継いだもみじが彩る。眺めるより、歩いて確かめたくなる秋だ。マチノワ編集部
四つのスポットは、橋から川べり、山頂、里の暮らしへと、谷のなかで高さも視点も少しずつ変わっていく。半日もあれば一巡りできる距離だが、待月橋の下で川面の照り返しを眺めたり、足助屋敷で職人の手元をのぞいたりしていると、思いのほか時間が溶ける。盛りの時期は人も多く、灯りのともる夜は雰囲気が一変するので、昼と夜どちらを軸にするかで歩き方は変わってくる。最新の見頃や催しの予定は、豊田市足助観光協会などの案内で確かめてから向かってほしい。