坂本ケーブル
昭和2年に開業した全長2025メートルのケーブルで、ふもとの坂本から延暦寺駅まで稜線を縫って登っていく。トンネルを抜けるたびに視界がひらけ、大きくとられた窓の向こうに琵琶湖がせり上がってくる。歩いて登れば数時間かかる高度差を、十一分の揺れにまかせて越えるあいだ、町の屋根が小さくなり、空気がひと息ぶん冷たくなるのがわかる。運賃や運行ダイヤ、冬期の運休は季節で変わるため、訪ねる前に公式の時刻表で確かめておきたい。
坂本の朝は、ケーブル駅の改札の音から始まる。木造の駅舎をくぐると、まだ眠そうな車両が一両、レールの先の斜面へ静かに身を傾けている。動き出せば、窓の外を杉の幹が次々と流れ、谷を隔てた向こうにうっすらと琵琶湖が広がっていく。標高が上がるごとに空気が冷たく澄んでいくのが、肌でわかる。山上に着くころには、ふもとの暮らしの音はもう遠い。ここからは、比叡の祈りの領域だ。
滋賀・大津、ケーブルで登る比叡の祈り
マチノワ編集部
順位ではなく、編集部が選んだ5スポットを順にご紹介します。坂本の朝は、ケーブル駅の改札の音から始まる。木造の駅舎をくぐると、まだ眠そうな車両が一両、レールの先の斜面へ静かに身を傾けている。動き出せば、窓の外を杉の幹が次々と流れ、谷を隔てた向こうにうっすらと琵琶湖が広がっていく。標高が上がるごとに空気が冷たく澄んでいくのが、肌でわかる。山上に着くころには、ふもとの暮らしの音はもう遠い。ここからは、比叡の祈りの領域だ。
昭和2年に開業した全長2025メートルのケーブルで、ふもとの坂本から延暦寺駅まで稜線を縫って登っていく。トンネルを抜けるたびに視界がひらけ、大きくとられた窓の向こうに琵琶湖がせり上がってくる。歩いて登れば数時間かかる高度差を、十一分の揺れにまかせて越えるあいだ、町の屋根が小さくなり、空気がひと息ぶん冷たくなるのがわかる。運賃や運行ダイヤ、冬期の運休は季節で変わるため、訪ねる前に公式の時刻表で確かめておきたい。
ケーブルを降りて杉木立の坂を下ると、東塔の谷あいに国宝・根本中堂が沈むように建っている。最澄が灯した火を千二百年絶やさず継いできた「不滅の法灯」が、薄暗い内陣の奥でゆれている場所だ。本尊と参拝者の床の高さがほぼ同じになるよう造られた独特の構えで、暗がりに目が慣れるほど、自分が祈りの底に立っていることに気づく。現在は約六十年ぶりの大改修が続き、堂は素屋根に覆われている。屋根の修復を間近で見られる特設の参拝デッキが設けられる一方、本来の外観や堂内拝観のかたちは時期で変わるので、最新の案内を寺の公式サイトで確認してから向かうとよい。
東塔から尾根を北へたどると、人影がふいに減って、足音が杉の幹に吸われていく。本堂の釈迦堂は延暦寺に現存する建物のうち最も古く、もとは三井寺の金堂を秀吉が移したものだという。途中、同じ形のお堂が渡り廊下でつながる「にない堂」の脇を抜け、その奥には最澄が眠る浄土院がある。掃き清められた白砂と苔の庭は息をのむほど静かで、山内でいちばん清浄とされる理由が、立っただけで肌に伝わってくる。
シャトルバスで山をさらに北へ運ばれると、横川の谷に着く。崖にせり出す舞台造りの上に、朱塗りの横川中堂が浮かんでいる。慈覚大師円仁が開いた区域で、信長の焼き討ちや落雷でたびたび失われ、いまの堂は昭和46年に再建されたものだ。人の声がまばらで、堂をめぐる回廊に立つと、足もとの谷から吹き上げる風の音だけが聞こえてくる。おみくじ発祥と伝わる元三大師堂が近くにあるのもこの一帯だ。
祈りの谷をひと巡りしたあと、標高840メートルの山頂へ足を伸ばす。延暦寺の堂塔は滋賀側だが、この山頂庭園は京都府京都市左京区にあたり、府県境をまたいで歩いてきたことに気づく。1.7ヘクタールの庭にモネの絵を思わせる睡蓮の池やバラの一画が広がり、寺の薄暗さとは打って変わって光があふれている。フランスの設計者の手による庭で、印象派の画家たちが描いた色彩を花で再現しようとしたという成り立ちが、山上という場所と不思議になじむ。例年12月上旬から4月中旬までは冬期休園で、開園期間・開園時間や入園料、睡蓮の見頃も変わるので、訪問前に公式サイトで確かめておきたい。
車両が斜面を登りきる手前、窓いっぱいに杉木立が迫って、しばらく光が翳った。その暗がりが、山に入る合図のようだった。マチノワ編集部
ガーデンミュージアムの柵ごしに、琵琶湖がうっすら光っていた。朝はケーブルの車窓に流れる杉木立から始まり、いまは山上の風のなかに立っている。標高八百を超えると、空気の薄さが祈りの気配と区別できなくなる。下りのケーブルに揺られながら、根本中堂で出会った薄暗がりと、西塔や横川の杉木立に吸い込まれていった鳥の声を思い返した。山を一日歩いたというより、ひとつの長い祈りの内側を通り抜けてきた気がする。なお、ケーブルの運行や各所の拝観時間・料金、根本中堂の改修の進み具合はその時々で変わるので、出かける前に公式の案内へ目を通しておくと安心だ。